2025.07.29

「いかに新しいことに自分主体で関われるか」にこだわる――MY CARRER SHEET~成長ベンチャー企業のトップ層はこんな人!~【役員 新山草太編 前編】

「いかに新しいことに自分主体で関われるか」にこだわる――MY CARRER SHEET~成長ベンチャー企業のトップ層はこんな人!~【役員 新山草太編 前編】

 

 「成長しているベンチャー企業のトップ層ってどんな人たち?」

そんな疑問にお答えする、L&E Group(旧リンクエッジ)の経営に携わる役員陣の人柄・キャリアをインタビュー形式で紹介する「MY CARRER SHEET」シリーズ。

第二回は営業本部長としてL&E Groupの収益を増加させ続けている、執行役員の新山草太さんをご紹介します!


※第一回川合友樹さん編はこちら












「自分で作って動かす」ことに面白さを感じていた学生時代

 

――大学時代はどのような学生だったんですか?

 

 「海外留学に行きたい」という想いがあったため外語大を選んだのですが、週6コマ語学の授業があって単位取得も簡単ではなかったので、毎日予習復習をするような勉強漬けの学生生活でしたね。サッカーが元々好きで、現地の試合を観たいと思いスペイン語を選んだので、休学して1年間スペイン留学に行ったのも良い思い出です。

 課外活動としては、学内でフットサル部の立ち上げをしました。最初は同好会として、遊び感覚で集まったメンバーをモチベートして競技フットサルに目覚めてもらい、週3練習+試合といった日々を送っていました。下の代も誘って同好会から部活に昇格させ、現在も続く部活となっています。アルバイトもいくつかやっていたのですが、新店舗のオープニングメンバーとして入ることが多かったですね。






――留学に行ったり部活を創設したり新店舗開業メンバーのバイトをしたりと、かなりバイタリティのある学生だったんですね。

 

 楽しいと思えることをしたくて色々とやっていたのですが、私にとって楽しいことというのは「決まっていることをやるのではなく、自分で新しく生み出し動かすこと」なんです。ただ人の言うことを聞くだけとか、決まっていることを回すだけとか、そういったことは面白いと思えなくて。自分の頭で考えて手を動かしてやる方が面白いと思う性分なんですよね。






――就職活動はどのようなところを見ていたんですか?

 

 そんな性格だったので、「自分で何かを作りたい」「起業したい」といった考えがわりと早めからあり、ベンチャー企業を中心に見ていました。ただ当時はまだSNSなどもほとんどない時代で、ベンチャーに関する情報があまりなかったので、『ベンチャー通信』等の雑誌を見て企業を探して、公式HPから応募して説明会に行って…なんて地道な就活をしていましたね。

 とはいえ実際にベンチャー就活をしてみると、敏腕社長が一人でガツガツ回してトップダウン型の組織になっている企業も多いなと感じました。起業をしたくて経営視点を学ぶためにベンチャーに行きたいと思っていましたが、ワンマン社長の下になってしまうと、やりたいことはやれなさそうだなと。結局ベンチャーは諦め、そこから大手就活に切り替えることにしました。






――探し続ければ理想的なベンチャー企業もあったかもしれませんが、まだ情報の少ない時代でしたもんね。大手就活にしてからはどういったところを見始めたのですか?

 

 せっかく外語大に通っていましたし、留学をしてみてもっと現地に入り込んでみたいなという気持ちもあったので、「海外で働ける会社」というのを軸にしました。就活を始めた時から<起業>と<海外>はなんとなく心の中で天秤にかけていたので、ここで一旦海外の方に比重を置いたというところです。

 あとは「文系が主役になれる会社」という視点もありました。理系が主役の、例えばメーカーなどに行くと、文系はモノづくりの方にあまり参画できないのではと思いまして。やはり性格上「自分が事業の主体となりたい」という想いが強かったので、こういった視点は大切にしていました。そうなるともうほぼ商社一択になったんですよね。五大商社から専門商社までいろいろな商社を受けに行って、縁あって伊藤忠丸紅鉄鋼株式会社に内定をいただきました。


☝現在も続く外語大フットサル部の創設者!












今後の社会人人生の根幹を作り上げた、商社での下積み時代

 

――入社後まずはどのような業務をしていたんですか?

 

 鉄鋼の中でも“缶詰に使う鉄”というなかなかマニアックなものを扱う部署に配属となりました。「目に見える身近な製品を扱いたい」と思っていたのと、スペイン語圏であるメキシコが一大マーケットだったということもあって配属を希望し、叶えてもらったという形ですね。そこで先輩が獲得してくる貿易案件の実務サポートをしていました。

もうとにかく忙しい部署で。4年目の先輩が指導者としてついてくれていたのですが、エース社員だったので昼間は外回りでほぼオフィスにいないんですよね。ですので日中は事務職の方についてデリバリーの手配や発注業務を少しずつ学び、夕方以降に先輩がオフィスへ戻ってきてから営業に関する指導を受け、残業して終電で(たまに飲み会に行ってタクシーで)帰る日々でした。ちなみに配属されたばかりの本当に初期の頃は、できることが何もなかったので、読んでおいてと言われた貿易実務の本を5周くらい読みましたね。笑






――なかなか刺激的な(?)環境ですね…。当時はどのような心構えで働いていたんですか?

 

 指導者の先輩も事務職の方も、部署中のみんなが猛烈に残業していて、体調を崩すことも度々あったので、「とにかくこの人たちの残業をなくそう」という発想で、先輩の仕事を奪うことをモチベーションに仕事をしていました。

まずは先輩が決めた案件のデリバリーをどんどん捌いてバリューを出すことに注力をします。仕事自体の難易度はそこまで高くないのですが、期限に間に合わなかったり手配漏れがあったりすると大問題になるので、膨大な量をスピーディーにミスなくこなすことで認めてもらえるように尽力していました。そうする中で徐々に、規模の小さいビジネスの商談などを任せてもらえるようになりましたね。

 あとは「どうしたら認めてもらえるのか」をひたすら分析していました。日々の会話や飲み会の場で、他部署含め社内の様々な人への評価の声を聞き、どのように振舞えば優秀だと思ってもらえるのかを見極めていました。仕事をもっと任せてもらいたかったですし、海外駐在に行くには優秀だと認めてもらう必要があったので、下っ端なりに一目置かれる存在になろうと必死でしたね。上の人に媚びるとかそういうことでは一切なく、実力で認めてもらうために、どんなところに気を付けて仕事をすればいいのかを、リアルな声を聞きながら模索していた感覚です。

そうして3年目の頃には担当も少し持つようになったり、課長代行が担当する案件にサブでついて実務をしたり、異動してきたメンバーに業務を教えたりと、一定評価してもらえるレベルになりました。













中心人物として活躍しつつも、古い企業体質に違和感を感じていた駐在時代

 

――そんな中、とうとう駐在のチャンスが巡ってきたわけですね。

 

 そうですね。同部署の最大のマーケットであるメキシコで、現地採用の日本人が支社を退職することになり、スペイン語を話せる私に白羽の矢が立ったわけです。

当時4年目に入ったタイミングだったのですが、会社史上最年少の駐在員だったそうです。4年目だと研修生として2年くらい海外支社に行くケースはあったのですが、駐在員として数年行くケースは異例だったので、ラッキーでしたね。

メキシコ支社のナンバー2,3ぐらいのポジションで、既存取引のある現地のメーカーらに対する鉄の発注量や価格の交渉や、日本本社との調整などを行っていました。






――学生時代から希望していた駐在生活はいかがでしたか?

 

 率直に、楽しくて充実していたなと思います。日本とは全く異なる文化の中で、現地の中小企業の社長やメンバーたちと信頼関係を築いて、一緒に日本本社と交渉していくのは非常にやりがいがありました。外交だけでなく採用や人材配置など支社の組織運営にも携わり、自分の手で支社全体を回す貴重な経験をさせてもらいましたね。

 一方で、日本本社に対して疑問を抱く場面は何度かあったかもしれません。商社は古い企業体質なので、前例から外れたことをしようとすると一気に時間がかかったり反発したりするところがあるんですよね。

現地のことを一番わかっている立場だからこそ、現地の状況を踏まえた新規提案などを本社にしていたのですが、「前例がないから」「今までのやり方と変わるから」と受け入れられずフラストレーションが溜まることが度々ありました。よく本社と喧嘩していた、生意気な若造でしたね。笑


☝メキシコならではの文化も堪能!






――転職を考えたのは、そういった企業体質とのミスマッチがキッカケだったのでしょうか?

 

 そうですね。そういった大手企業ならではのジレンマがあったのと、加えて昇格スピードについてもやはりネックではありましたね。

駐在が終わって日本に戻ったのが9年目の時だったのですが、メキシコ支社では中核メンバーとして業務をしていたのに、戻ってからは新入社員と変わらない役職になります。この後も平社員として本社勤務と海外駐在を繰り返して40代でやっと課長になるというイメージで、駐在時のように裁量を持って仕事できるようになるまでにはかなり時間がかかるなと感じました。

新しいことをやること、自分が主体となってやることがとにかく好きな私ですから、もっと変化をポジティブに考え、挑戦をしていけるような環境に身を置きたいと思い、転職に踏み出しました。






――学生の時の素直な想いに改めて立ち返ったということですね。

 

 そうですね。とはいえ、商社時代の経験は、私のビジネスマンとしての根幹を作り上げてくれた非常に重要なものとなりました。

例えば下積み時代に関しては、決められた範囲の中でも「先輩の仕事をどれだけ奪えるか」「いかに周りの人に評価されるか」など自分で目標を立てて自走する力が身につきましたし、しんどい仕事もハードワークをしてこなすといった気概を養うことができました。今の時代には似つかわしくない根性論のように聞こえるかもしれませんが、何か新しいことをするときには、正解や前例がなく自分で0からやり方を生み出す必要があるので、結局「やりきる力」が重要になります。ここぞという時に全力を出せる能力は、ビジネスマンとして必ず持つべきものだと思います。

 またその他にも、取引先や他部署との折衝の中で、先を見据えて行動する段取り力や調整力、リカバリー力といった汎用的なスキルを培うことができました。AIが仕事を奪う時代となった今、一つの業務だけしかできない人材は淘汰されます。こういったマルチタスクを、様々なケースや事情を考慮しながらミスなく正しく進める能力は、どこの企業でもどんな仕事でも非常に重宝されます。

結果として長い期間にはなりましたが、こうした意識や力をじっくり伸ばすことができたことで、異業界転職後の活躍に繋がったと感じています。


 

 

後編へ続く! ―

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次の時代を創る。

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